今日も独りで立ち話

思ったことをそのまま書き連ねるブログ。

【マンガ】 鬼滅の刃の感想・考察・妄想あれこれ【ネタバレあり】

磨けば光るとネットで話題になってからはや1年

ジャンプで絶賛連載中の「鬼滅の刃」について思うところを書こうと思います

 

1話を読んだときから、独特の絵柄と雰囲気に惹かれて

毎週楽しみに読んでいるのですが、そろそろ看板作品になったと言ってもいいのではないでしょうか

 

 

 

鬼滅の刃とは

吾峠呼世晴(通称ワニ先生)による週刊少年ジャンプに連載中のマンガ作品で

2017年6月23日現在、6巻発売されています

 

あらすじとしては

時は大正時代

鬼に家族を惨殺され、唯一生き残った妹も鬼へと変えられてしまった少年、竈門炭治郎が「鬼殺隊」と呼ばれる組織に入隊し様々な人と出会いながら、家族を殺した鬼への復讐と妹を人間に戻すための手がかりを探す旅に出る…

 

そんな感じのストーリーです

 

絵柄は独特で、人によっては下手と感じるかもしれません

ですが、この画風が作品の雰囲気とも合っていて

ぐっと引き込まれる感じがあります

 

 

このマンガの特徴としては

しっかりとした軸を持った個性的なキャラクターとせりふ回し

が非常に面白いです

 

セリフの掛け合いは思わず笑ってしまいますし

本気で訴えている場面では読んでいるこちらにも、その熱が伝わってきます

 

また各キャラクターは個性的でありながらも、人間味があって他のマンガではあまり見ない感じの性格をしているのも面白いですね

 

連載が始まってから、あまり月日が経ってないのもありますが

 

「このキャラはこんな奴じゃなかったのになー」

 

といった不満はありませんし

 

「このキャラならこう動くだろう」というのを大きくは逸脱しないので、読んでいて違和感を感じることはありません

 

まず間違いなく今後売れていくマンガなので、今のうちに追いかけるのをおすすめします

 

感想終わり

 

 

鬼滅の刃の考察・妄想あれこれ

鬼滅の刃で出てきた謎について自分なりに考えてみようと思います

 

 

ヒノカミ神楽とはなんなのか

炭治郎の家系に代々伝わっていると思われる謎の踊り(呼吸法)ですが、これはいったい何なのでしょうか

 

・特徴的な耳飾りと衣装、手には七支刀を持って踊っていること

 

・火の仕事をするから怪我や災いが起きないように「ヒノカミ」様に祈りをささげていること

 

・代々伝えることが約束になっていること

 

・鬼舞辻の過去の回想で同じ耳飾りをつけた剣士が出ており、鬼舞辻が執着していること

 

・炎の呼吸は火の呼吸とは呼んではいけないこと

 

などがわかっています

 

ということで、ネットではヒノカミ神楽とは「火の呼吸」ではないか、という意見を見るのですが、僕は違うと思っています

 

 

以下に、こじつけみたいな理由をつらつらと書いていきます

 

・作中でも繰り返し明記されている通り、鬼を殺せるのは日輪刀で首を切った場合と太陽光にあたった場合であり

(日輪刀は太陽光がたくさんあたる山の上で取れる鉄から精製される)

 

鬼の唯一の弱点は太陽に関するものであることがわかります

これまで様々な呼吸が登場していますが、鬼に対して強力な属性である太陽に関する呼吸はまだ登場していません

 

太陽属性は特別なので、特別な出自の呼吸法では?

 

また通常技名は、呼吸の属性に応じた名前がついていますが

 

ヒノカミ神楽の技名は1つ目こそ円舞ですが

2つ目は碧羅の天であり太陽っぽい名前もついています

 

ヒノカミ神楽は太陽属性の可能性が高い

 

 

・鬼舞辻の回想(おそらく鬼殺隊設立以前)に

ヒノカミ神楽の使い手と思われる剣士が登場しており

鬼舞辻が圧倒されていることから、この姿をしていたものは鬼に対してなんらかの攻撃を行っていたのではないかと推測できます

 

また代々継承しなければならないことから、何か重要な役割を持っている

 

鬼に対してかなり有効な剣術なのでは?

 

 

・炎の呼吸を火の呼吸と呼んではいけないのは

口伝されている「日の呼吸」と混同を防ぐため

 

・耳飾りは日の出のようなデザインとなっており

ヒノカミ神楽が「日の呼吸」だとするとデザイン的にも合う

 

そういうわけで僕は

 

ヒノカミ神楽とは日の呼吸のことであり、鬼殺隊設立以前から伝わる古流剣術ではないか、と考えています

 

 

またこれはかなりこじつけですが

日本で太陽神と言えばアマテラス大御神ですが

この神様の有名なエピソードの1つに天岩戸というものがあります

 

これはアマテラス大御神がいろいろあって天岩戸という洞窟みたいなところにひきこもるのですが

外で宴会をしながら、とある神様が舞を踊って盛り上げて

引きこもってたアマテラスを外に連れ出したみたいな感じのエピソードです

 

そういうわけでヒノカミ神楽の舞の要素と天岩戸で太陽を外に出すための舞で関連性があるのかなあとか思ってます

 

ただヒノカミ神楽が日の呼吸だとすると

・なぜ竈門家は代々炭売りという火に関する仕事についていたのか

・炭治郎が赫灼の子だと褒められたこと

・ヒノカミ神楽のエフェクトに火が出ていること

・禰豆子の血鬼術が「爆血」と完全に炎属性なこと

 

の説明ができないので、普通に火の呼吸の可能性もまだ捨てられません

それに七支刀はいったいどういう役割なのかもわかりませんし

 

 

ただせっかく主人公なんだし、火じゃなくて太陽の方が鬼に対する因縁の技っぽくていいなあという僕の妄想に引っ張られている気もします

 

 

炭治郎の同期のモヒカン君

まだ名前もわからない彼ですが、炭治郎の同期の最後の1人ということでどんなキャラクターか今のうちに想像(妄想)しておこうと思います

 

 

炭治郎の同期は基本的に超感覚能力を持っていることが示唆されています

 

 

炭治郎:嗅覚

善逸:聴覚

伊之助:触覚

カナヲ:視覚(目が違うという描写あり)

 

ということは残るモヒカン君は味覚ということになります

(当主の産屋敷 耀哉が第六感なのかな?)

 

正直、味覚でどう鬼を感知するんだという感じもありますが

あえてここは味覚を活かした能力として

 

鬼を食べて身体能力などを向上させている説

推しておこうと思います

 

これはかなり描写が薄いのですが、蝶屋敷を訪れたモヒカンに対して

炭治郎は臭いが変わったという描写があり、確か肉体的に結構成長していたような気がします(うろ覚え)

 

珠代さんのような鬼でありながら人間を食べない鬼の臭いが違ったように

人でありながら鬼を食べることで臭いが大きく変化したのではないかと思っています

 

まあ普通に「この苦い雰囲気はやばい」とか言って、普通に嗅覚や聴覚と似たような扱いになる可能性もありますが

 

 

モヒカンの呼吸はてっきり風だと思っていたのですが

本誌の29号で岩柱の悲鳴嶼 行冥さんと一緒にいたので、流派がわからなくなってしまいました

 

 

風柱の不死川 実弥さんと顔の感じが何となく似ているので

不死川家の弟で風の呼吸を会得したものの、兄に反発して別の柱を訪ねて複数の流派を会得するために柱を訪ねまわってるという妄想を最近はしています

 

これだと蝶屋敷→悲鳴嶼さんと柱を訪ねている理由も合致しますし、初登場時に力を欲していたことや、口が悪いことの説明もできるので、いい線いってないかなと期待しています

 

柱に近しい人間という若干カナヲとキャラかぶりするのが難点ですが

 

 

 

終わりに

 

とりあえず、今の自分が気になっている内容について書いてみました

今後、新しい情報が出るたびにちょこちょこ書き加えたりしていこうと思います

 

 

鬼滅の刃を読んだことがない人は面白いので、ぜひ読んでみてください

人に伝えるにはどうすればよいか

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大学の研究プレゼンだったり、もちろんブログでもそうなんだけど

人に意見や考えをうまく伝える必要がある場面は多い

 

 

こういうのを自然とうまくできる人もいるんだけど

「プレゼンの作り方」「人に○○する方法」だったりして

後天的に勉強することで身に着けることももちろんできる

 

僕自身は基本的に下手なタイプなので

特にプレゼンに関しては技術的に真似ができるところは真似したし

フォントだったり、デザインは一番初めに比べると見られる物を作ることができるようになったと思う

 

 

 

 

 

 

 

上っ面パクリの限界

 そんなこんなで勉強してきたおかげで

ある程度のレベルまでは向上したんだけども、最近は壁を感じている

 

見やすいスライドを作れるようにはなったけど

わかりやすいスライドにはなっていないことに気づいたのだ

 

 

 

見たときに「何が書いてあるかわかる」だけではだめで

なぜ書いてあるかわかる」レベルまでプレゼンを煮詰める必要性が出てきた

 

 

こんな現状になったのは、

「とにかく見やすくするにはどうしたらよいか」

ということばっかりに気を取られて

 

「相手が楽しめるようなプレゼンにするにはどうしたらよいか」

ということまで完全に気が回っていなかったためだと思う

 

だから、スライド一枚一枚のデザインは

論外レベルから普通レベルまで向上したけども

プレゼンという大枠から考えるといろいろ至らないところが多い

 

もちろん、プレゼンを作るときに聞き手がわかりやすいように

ある程度の発表の流れは考えている

 

しかし、それだけでは不十分なのだ

 

人に伝えるためには、プレゼン用に0から内容を考え直す必要がある

 

 

 

現状の作り方

 

さて、現在の自分がどのようにプレゼンを作っているかと言うと

 

 

まずは手持ちのデータを基に、どういうストーリーで発表すれば形になるか考え

 

次にそれに合わせて、集めたデータを載せて解釈を書いて

 

次に得られたデータのまとめを最後に載せて

 

最後にやった実験内容に合ったり、説得力が出るようにイントロを考える

 

 

 

 おおよそこの手順で作っている

 

できる人はこの手順でもうまく作れるんだろうけど、自分には無理だった

 

というのも、データからストーリーを作ったは良いものの、

そのあとデータを貼っているうちに、データに引っ張られてストーリーがゆがむことが多いからである

 

つまり、取ったデータを無駄にしたくない、有効活用したいという気持ちが芽生えてきて

構成上不必要なデータを載せたり

特に解釈はできてないけど、とりあえず載せたりということをやってしまうのだ

 

 

そうこうしているうちに

 

結局、今回の発表は何がメインで何が大事だったのだろうか?

 

と、聞き手が釈然としないプレゼンができあがってしまうわけである

 

 

どういうプレゼンが理想か?

 

こういった欠点の問題点は中身がごちゃごちゃとしていて

理解が難しくなるということだ

 

 

これを解決するのは簡単で

 

シンプルなプレゼンを作る

 

ただそれだけで解決すると思っている

 

 

アップルのCEOであったスティーブ・ジョブズは優れたプレゼンターであったことはよく知られている

 

 

ジョブズのプレゼンのスタイルでよくみられるのは

 

視覚や聴覚などの感覚器官に強く訴えるような構成にしながら

スライド自体は画像を一枚だけ載せたシンプルすぎるほどシンプルなものである

 

ジョブズは画像一枚を映しながら、必要最低限の説明を効果的に行いプレゼンを進めていく

 

視覚的に今、何を説明しているかわかりやすく、聴覚的にも情報が錯綜しない

 

だから、ジョブズのプレゼンはわかりやすいのだと思う

 

 

以前の僕もそうであったが、ジョブズのプレゼンスタイルはビジネスシーン(特に新製品の紹介)に有効なのであって

 

研究発表なんかのプレゼンには相性が悪く、まるっきり別物だと考えていた

 

 

しかし、最近はうまいプレゼンの本質から考えると、ジョブズ式のスライドというのも研究発表に応用できるのではないかと思い始めている

 

 

研究発表にジョブズ式が不向きだと思われたのは、実験結果は基本的に複数あって

単独では何を言いたいのかわかりにくいものが多いためである

 

そのため1枚のスライドには図が2~3枚程度しかないが

全体としては数が多くなりがちで

 

実験Aの結果はこうで、実験Bの結果はこう

だから、こういうことが考えられます

といった細かい流れが増えるために

 

全体像がつかみにくくなっているのではないかと思っている

 

 

これを解決するために、データの加工(グラフ化など)をもっと慎重かつ大胆に思慮して行うべきだと思う

 

つまり、ジョブズのように一枚の図だけで実験結果がわかるような図を作るべきなのだ

 

 

生データを並べるだけだと情報が増えすぎて全体像が見えないし

加工しすぎると細かいデータが見えず、科学的信頼性が損なわれる

 

 

その中間くらいの科学的に不信感を与えず、何を示しているかわかりやすい図の作成こそがプレゼンを改良し、人にメッセージを伝える唯一の方法なのではないかと、最近は考えている

 

余計なことを言わない必要最低限の量のデータを与えてくれる図を基にストーリーを作れば、聴衆は自分の発表をもっと熱心に聞いてくれるだろうし、たくさん質問もしてくれるようになるはずだと信じている

 

 

細かいデータなんかは補助スライドに作っておけばいいし、質問されたらそれらを見せて細かい議論をすれば良いのであって

 

初めから細かいデータを並べるのは、科学的に純粋な姿勢を見せている態度に酔いしれているのであって

発表をして人に伝えるという観点からは最悪の姿勢だと考えている

 

 

 

シンプルにするために何をすべきか?

 

シンプルかつ効果的な図を作成するにはどうしたらよいのだろうか

 

それは、

実験結果について考え抜き、そのデータから何を言えるのか、その中でも最も重要なことは何か、ということを自分で自覚し理解できるようにしておくべきだ

 

こればっかりは、おそらく小手先の技術ではどうにもならない

 

真摯に実験結果・自分の考えに向き合って自問自答し

思考と理解をするどく尖らせていくしかないだろう

 

今までの自分に足りていなかったのは、この姿勢だと思っている

 

心のどこかで、場当たり的に流すためのプレゼンになっていて

人に自分の感動・価値観を伝えたいというレベルまで気持ちが張りつめていなかった

 

これは僕自身が研究テーマに対して、熱を持っていなかったことの表れだろう

 

主体的にやっているようでも、どこか先生の言いなりになっていて

その場さえよければ、まあ良い

 

という研究者としてはあるまじき姿勢だ

 

 

今は博士後期に進んだこともあるし、将来は一人前の研究者になりたいとも思っているので

この向き合う姿勢をとにかく磨いていかねばならないと痛烈に感じている

 

 

 

 終わりに

 

これは僕が最近、どうやったら人に研究が伝わるか考えた結果だから

研究発表以外では違うプロセスを辿るところがたくさんあると思うし、間違っているところがたくさんあるかもしれない

 

しかし、人に説得力を持って伝えるには

そのことについて日ごろどれだけ考えて、向き合った結果かというのは共通するところが大いにあると思っている

 

結局、本人がどれだけ内容を理解して、中身を整理して

聴衆に向かって熱を持って話せるか

 

言葉にすると簡単な気がするけど、実行するのは非常に大変なんだろうなという気持ちでいっぱいだ

 

まだ自分は全然実行できていないけど、とりあえず少しは改善できるように意識していきたい

 

ついでにブログもきちんと考えをまとめて、整理したうえで書けるようにしたい笑

 

 

 

最近の愚痴

完全に愚痴なので、自分の心の整理のために書きます

だったら紙の日記にでも書いて世の中に出すなよ、なぜ外にアピールする必要があるのかって

最もな意見が投げつけられそうなんですが、僕は構ってチャンなので愚痴を誰かに吐き出さないとやってられないだけです

 

 

リアル社会にもいっぱいいるじゃないですか

相談と称して、ひたすら愚痴を喋ってスッキリした顔になる人が

 

あれのインターネッツ版ですね

 

 

 

というわけで愚痴を書きます

 

 

最近の後悔

 

最近は本当に忙しかった

博士後期に進学して負荷が大きくなったこともあるけど、研究だけじゃなくてその他いろいろなこともうまくいっていない

 

学振の書類、論文の原稿、実験、授業、進捗のまとめ、学会の参加うんぬん、自分の勉強、趣味、家事…etc

 

やりたいことも、やらなければいけないこともたくさんあるんだけど、どれ一つちゃんとこなせてない

 

にもかかわらず、時間は無常にも過ぎていって

気が付けば、もう5月も終わろうとしている

 

 

これを何回かやれば夏になり、秋になり、冬になり

そして今年が終わるんだろう

 

 

こういう表現はあまり好きじゃないのだけれど

このままだと、自分は何一つ成長もせず、成し遂げずに時間を消費して行ってしまう

 

 

博士課程に進学した以上は、自分の実力を向上させて

まっとうな研究能力、事務能力、対人関係の能力とか

いろいろな必要とされる能力を身に着けないといけないのはわかっている

 

例えば僕は対人関係の能力がキングオブゴミなので、努力はしているけど

博士人材の一般水準には到底追いつけないだろうし、追いつけなかったとしてもまあ仕方ないかなとは思える

 

それは自分自身できないなりに、なんとか改善しようと思えていて

かつ、わずかながらも努力していると自覚できているからだと思う

 

対人関係は正直、ケースバイケース過ぎて一般化できるようなものでもない、というのがくじけそうな心を支えていることもある

 

僕は人との相性が激しくなる傾向があって

AさんやBさんとは全然話せないけど、Cさんとは仲が良い、Dさんとはそれなりに腹を割って話せる…

 

といった相手依存の関係になりやすい

 

誰とでもそれなりに仲良く、というのは生まれてこの方できたことがないので

そっちが理想だけども、合う人と深く狭くの方向に行けたらいいなとは思う

 

それもできないような気がするけども

 

 

 

さて少し話が脱線したけれども

最近は本当に何もできていない

 

 

以前と比べると、実験も解析も勉強も遊びもすべて中途半端で集中して取り組めていない

 

昔なら実験80点、解析20点、勉強50点、遊び90点

みたいな感じで、やらなきゃいけないことをやってなかったりもしたけど、自分の意志を持って自分がやりたいことに注力できていたんだけど

 

最近はぜーーーんぶ50点みたいな感じで、すべての物事の仕上がり具合が低クオリティで、やらなきゃいけないこともやりたいことも、全然手が付けられていない

 

以前はやってない、とは言っても

優先度の高いことをやってないだけで、個人的にやりたいことはやってた

みたいなことは多かったけど

 

最近のやっていないは本当にやっていない

 

研究で言えば

以前はやれと言われたことはやってないけど、他のことはめっちゃやってましたって感じだから、進捗報告するときもなんやかんや話す内容があったんだけど

 

最近は本当に何もやっていないからデータが0

だから本当に何も話すことがない

 

みたいなことが多い

 

博士になっておいて何をやってるんだろうと自分で腹立たしいし、ストレスも感じるんだけど

結局、こなすのは自分だから自分で片付けるほかない

 

それがわかっているのに、実行できない自分にまた腹が立つ

 

 

4月に立てた目標として

英語を勉強する

専門の勉強をする

早起きをする

部屋を片付ける

自炊をする

メリハリをつけて研究する

というのがあったんだけど、結局どれもできていない

 

 

ブログ書いている場合じゃない、というのもその通りなんだけど

ストレス解消の一つだから仕方ない

 

 

とりあえず書きたい愚痴はまだまだたくさんあるんだけど

書いてもきりがないし、これを書いてるうちに気が少し晴れたので

この辺で終わることにする

 

 

とりあえず

研究・日常・勉強の3つを柱として

生活習慣の改善をしようと思う

 

意志を強く持って、目的なく時間を浪費することだけは避けていくようにしたい

だらだらするのにも「だらだらする」という目的を持っていきたい

 

集中と緩和を意識しながら、自分の感情・意識をもう少し自分自身でコントロールしていけるようにしたい

 

 

乱文おわり

とりあえず夏までに生産的な生活習慣、行動様式を身に着けるようにしたい

【発達障害】 ADHDの検査を受けてきた【WAIS-3】

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ブログをやっている人は鬱・発達障害アスペルガーなど

いわゆる精神的な病を患っている人が多い気がしている

 

 

普通の人間関係になじめなくても、ネットにはたくさんの人がいるから

どこかに自分と仲良くなれる人はいるだろう、そういう気持ちもあってブログを始めている人が多いのかもしれない

知らんけど

 

 

偉そうなことを書いている自分も

片付けられないわ、時間は守れないわ、予定を作れないわ、人と仲良くなれないわ

などなど明らかにマイナスの習慣が治せなくて悩んでいた

 

 

もし、これが発達障害なら治療すれば少しはましになるだろうし

何よりできなくても仕方なかったんだ、という言い訳が手に入る

 

そんなやや邪な気持ちで検査を受けてきました

 

発達障害とはなんぞや、自閉症スペクトラムとはなんぞや、WAIS-3とはなんぞや

みたいなことはググれば詳しい説明が書いてあるサイトがたくさんあるので

僕が検査を受けた経緯と結果について書こうと思います

 

 

目次

 

 

検査を受けるきっかけ

 

発達障害の検査を受けようと思ったきっかけは

自分の至らない点が障害なら、すぱっとあきらめもつくし対策もできるだろう、と打算的な判断をしたためであった

 

ネットによくある発達障害診断だと、「発達障害の疑いあり」みたいな結果はよくでてたし

 

自分の特徴として

・時間にルーズ

・片付けられない

・衝動的(計画を作れない)

・対人関係が苦手

・集中できない

などがあったため

 

もしや本当に発達障害なのではないか、だったらきちんと治療がしたい

そう思い立って検査を受けることにした

 

ネットの自己診断は自分は発達障害であるっていう思い込みバイアスがかかってるから、そうなりそうな選択肢を無意識に選んでいる可能性の方が高いから、あてにならんしね笑

 

 

検査を受けるまで

 

 

まあこれは特筆すべきこともなかったんだけど

 

流れとしては

よく行っていた精神科に行って、発達障害の検査を受ける旨を伝えただけ

 

ただ最近は発達障害の検査を受けたいという人がたくさんいるから

予約はいっぱいらしく、だいたい2か月くらいは空きが全然なかったんだけど

1か月以内の人気のない時間帯に運よく予約を取ることができた

 

もし検査を受けることを検討している人がいれば

早めに予約を取ることをおすすめします

 

 

WAIS-3

 

検査はWAIS-3というものらしかった

詳しくはよくわからんのだけど、大人にも使える知能検査らしい

 

 

検査内容は記号を探したり、積木使ったり、カードを使ったりする感じで

 

こんなんで何が測定できるんだろうか、とも思ったけど

実際、診断ができているみたいなので、素人にはわからないチェック項目があったんだと思う

 

この検査は内容を詳しく知ってやると意味がないらしいので

検査を受けるつもりの人はググる前に検査を受けましょう

 

 

時間はだいたい1時間~2時間くらい

検査でいっぱいいっぱいだったから、正確な時間は覚えていない笑

 

かかった正確な費用も忘れてしまった

そんなに高かった記憶もないし、3000円くらいだった気がする

 

 

 

検査結果

まあ詳しい見方はよくわかってないので、各項目が意味していることを知りたい人は

他の詳しく解説しているサイトを読んでいただくとして

とりあえず、診断結果の一例として読んでください

 

WAIS-3の検査結果には平均を100とした

動作性IQと言語性IQってのがあって、この差が大きいと発達障害の可能性が高いらしい

(ちなみに動作性と言語性が何をさしてるのかはわからないw)

 

さらに言語理解、知覚統合、作動記憶、処理速度の4項目があって

それぞれにもIQが測定されている

 

 

当然、個人差はあるんだけど発達障害だと作動記憶が低いことが多いらしい

 

 

自分の結果

言語性IQ22

動作性IQ16

全検査IQ22

 

言語理解:111

知覚統合:103

作動記憶:140

処理速度:137

 

コメントとしては

社会に関する興味が薄いのと目で見た情報を処理するのが苦手

一方で機械的な作業や情報を聞いたまま覚えるのは得意

 

だから

じっくり理解したり考えようとすると、機械的な処理とのギャップで不全感を感じているのかもしれない、とのことだった

 

結論から言えば

僕は発達障害ではなかった笑

 

言語性と動作性の差は小さいし

知覚統合と作動記憶との差は大きいですが、100を下回っているわけでもないので

まあ発達障害ではない可能性が高いでしょう、とのこと

 

もっと調べたいなら

昔の通知表を見たり、親に聞いたりしないといけないけど

まあ、そこら辺を調べたところで発達障害だと診断される気もしない

 

 

検査結果を見ても、こんな感じだと個性の範疇だろうなとも自分でも思う

知覚統合と作動記憶・処理速度の差は大きいけど、これを理由に何らかの障害があるとは結論付けることは無理だと思う

 

 感想

 

発達障害らしき行動をとるようになったのは中学の途中からだったので

自分がそういう行動をとるようになったのは、障害というより精神的に疲れたから

あるいは自制が効かなくなったからなんだろうなと今では思っている

 

 

要は単純に甘えているのだと思う

時間が守れないのも、人間関係が築けないのも、片付けられないのも

 

自分がそれで良いと、自分で自分を許してしまっていて

それで困っても仕方ないとか、なんとかなると思っているからなんだろう

 

 

自分では集中力はないと思っていたが、検査結果的にはむしろ集中力は高い方であることが判明したので

ますますサボってるだけ説が濃厚になってしまった笑

 

自分の行動の言い訳に障害を使おうとしたのも

そういう甘えた心から生まれてきたもので

自分に必要なのは単純な精神の鍛練なのかもしれない

 

 まずは明日から早起きを始めて、洗濯物をこまめにアイロンがけすることから始めてみようと思う

 

おわり 

 

 

おまけ

 

tachibanashi.hatenablog.com

 

以前、これで自分の特性をチェックしたのだけど

情報をそのまま覚えられる記憶力が優れているから収集心の項目が高くなっていたんかね?

 

なんにしても、無駄に記憶力が優れていることがわかったのだけど

これをうまく活用できる方法はないのだろうか

 

人の顔を覚えるのが得意だから、接客とかある意味向いているのかもしれないけど

コミュ力全然ないからなあ

 

何かいい方法探すか…

【時の流れは】 あ、俺老けてるんだ 【ああ、無常】

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こんにちは、立花です

 

僕は25歳の男です

自分ではあまり自覚はないのですが、世間的には半分おっさん、半分おにいさんといった年齢でしょうか

 

ちょおっと前まで、まだぴちぴちの20歳で

いろんな人に「若くていいねえ」とか「まだ若いんだからいくらでもチャンスがあるよ」とかお褒めの言葉をかけていただいていたんですけど

 

気づけばもう20代も折り返しなわけです

 

 

 

思えばもっと若いころは

徹夜も平気だったし、食欲も旺盛でエネルギーが有り余っていて、女の子にもてたいという性欲もギラギラしていたように思います

 

この辺の特徴はみんな変わらないでしょう

若さというのは困難を簡単に乗り越えるエネルギーがあります

 

 

自分より年配の人の話すと僕はまだその若者の一員であるかのように錯覚させてくれたおかげで、僕の体感ではその頃とほとんど変わりはないつもりでした

 

 

徹夜もまあ頑張ればできるし、食欲は昔が異常だっただけで今でもそこそこ食べますし、女の子には今でももてたいです(努力はそんなにしてませんが)

 

残念なことに他人から見れば確実に老けてきたようです

 

それを僕に教えてくれたのは、名前も知らない大阪の小学生

 

 

 

この間、電車に乗っていて座席が空いていたので普通に座っていました

僕の横には1人分のスペースが空いています

 

駅に止まって兄妹と思われる2人の小学生が電車に乗ってきました

 

お兄ちゃんのほうは妹の「ほら空いてるから座り」と自分は立ったまま、妹を座席に促していました

 

僕は降りる駅が近かったのもあって、その子に席を譲りました

 

その男の子には感謝の言葉をかけてもらってありがたかったのですが

ちょっと引っかかる単語が混じっていたのです

 

「おじちゃん、ありがとお」

 

 

・・・・

・・・

・・

 

お、おじちゃん…????

 

俺が????

 

 

そのとき、僕の周りの時が一瞬止まりました

 

 

昔、昔、

おっさんやおばちゃんが「まだまだ自分は若いからね~」などと言っているのを聞いて、当時は「なにいってんだ」と思っていましたが

 

こういう心境だったのか、と脳内を衝撃と驚きが駆け巡り

心拍数が上がったのを合図に、現実へと帰ってくることができました

 

 

 

当時のおっさんやおばさんも冗談半分だったとは思いますが

もう半分はたぶん本当にそんなに老けたという認識がなかったのでしょう

 

僕がこのことに気づかずに

仮に5年経って30歳になっていたとしても、今と変わらず「自分は若い」ということに疑問を持たずに年を取っていたと思います

 

 

自分のことを客観的に見ることは難しいと一般的に言われていますが

意外と、こういった容姿に関しては意識したことがありませんでした

 

女性は化粧をしますし鏡を見る機会も多いので

自分で気づく機会も多いのかもしれませんが

 

僕はその辺に無頓着だったので、自分が老けていることにまったく気が付きませんでした

我ながらなんて間抜けなんだ…

 

 

確かに大学入学当初の写真と今を比較すると

明らかにくたびれた男(おっさんとは書きたくない)がそこにはいました

 

研究室に入ってから食生活も、睡眠時間も不規則になっ、運動も全然していないので

見た目が著しく悪化しているのも至極当然でした

 

 

正直、今でも年は取りたくないし

ずーーーっと若者でいたいんですけど

自分が年を取っているという自覚を持たないと、イタイ大人になりかねないので

 

悲しいことですが、自分は老けてきているという自覚を持って明日から生きていくことにしました

 

というわけで、当面の目標は老けてもかっこいいジローラモになることです

応援よろしくお願いします

 

おわり

【駄文】 アクセスアップを狙うべきか 【欲望の塊】

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こんにちは

 

僕の心の声をダダ流しにするブログ「今日も独りで立ち話」を

作ってから、大体ちょうど3か月が経ちました

 

もしブログ活動がめちゃくちゃうまく軌道に乗っていて、閲覧数とか読者数とかはてぶ数とか収益とかあったら

 

他のいろんな人がやっているように

 

「ブログはじめてから○ヶ月のアクセス数と収益を公開します」

 

と高らかに宣言して

 

その成果をドヤ顔で毎月書いて

 

わーすごいですね!!!!

参考になりました!!!!

これからも応援してます!!!!

やっぱ○○って大事なんですね!!!

 

というような、僕のことをひたすらちやほやしてくれるコメントをいただく妄想だけしています

 

 

実体はどこにでもある弱小ブログなので

毎日のPV数は100前後、月ごとだとだいたい3000くらいとなっております

 

ブログはじめた当初は、1日のPV数が3とかが当たり前だったので

正直なところ、平均が3ケタ言っている現状を眺めているだけでも喜びでにやにやしています

 

 

前は

PV数とか気にしてないし、仮にはてなプロに移行してアドセンス稼げなくても気にしない~

 

という感じのスタンスだと主張していたような気がします

 

 

 

 

しかし

 

 

本音を言いますと

ここにきて若干、欲が出てきました

 

 

もう何回も同じことをどこかに書いてそうなんですけど

ブログを始めたのはお金稼ぎよりも、承認欲求を満たされたい、という思いの方が強いです

(そりゃあ、お金がたくさんもらえるなら、それに越したことはないですけども)

 

 

 

ただ一口に承認欲求と言っても

 

立花さんのファンです!!!

いつもブログ面白いですね!!!

 

みたいな、僕のことを崇め奉ってくれる、褒めてくれる人がいてくれたらなあという

現状では到底実現不可能な欲望だけではなくて

 

 

最近は

 

 

この内容が参考になりました!!!

 

とか

 

気持ちが楽になりました!!!!

 

みたいな

 

誰かの役にたってみたい、という気持ちもだんだん大きくなってきました

 

 

 

僕は他人には無関心な自分と、異常なほどおせっかいを焼いてしまう2種類の人格が同居しているタイプでして

 

当初は、ブログなんて自分のために書いてなんぼやろ!みたいなスタンスだったのですが

 

自分の心垂れ流したり好き勝手書いたうえで、誰かの役にも立てたら

 

それは、それは大きな喜びと承認欲求が満たされて

僕が幸せになれるんじゃないかと思いはじめました

 

 

というわけで

 

今後は少しだけアクセス数アップを目指してみようと思います

 

今後とりあえずやってみることとしては

 

・文章をまともに書けるようにする(ちゃんと推敲する)

・検索流入が増えそうな記事を書いてみる(あのランキングとかのやつ)

・よくあるタイトルをつけてみる(○○な○○の○○な方法とか)

 

 

最近、申請書を書く機会が多くて

自分が気持ちよくなるだけの自慰的な内容を書いていても、仕方ないなと思ったのもあります

 

自分のためだけの記事はそういうカテゴリ作って、そこにひたすら投げ込んで行こうと思います

そのカテゴリしか使わなくなるかもしれませんが笑

 

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人の顔をじっと見る癖

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僕には昔から抜けない癖があった

 

それがタイトルに書いてある通り

 

「すれ違う人の顔を一瞬見つめてしまうこと」

 

 

なんでそんなことをやるようになったのかはわからないけど

子供のころから自然とやっていたから、みんな自然とやっているものだと思っていた

 

 

それが常識ではないと気が付いたのは大学に入ってしばらくたってから

 

 

趣味:人間観察

ではないけども

 

なんとなく道行く学生をぼんやりと眺めていた時に、ふと気が付いたのだ

 

 

横にいる友達と話してはいるけど

誰も向かい側から来る人間に注意を払っていないということに

 

それどころか、自分たち以外に人間は存在していなくて

さながら歩く電柱が向かってくる、くらいの感覚で皆歩いていた

 

この事実に気が付いたときは、個人的には天地がひっくりかえった感じがした

(大げさな表現だけどもw)

 

 

 

僕は昔から外を歩くのが非常に嫌いだった

 

それは服がダサい、顔も不細工、姿勢も悪い

つまり、とにかく外見が残念だったから

 

自分とすれ違う人は皆

 

自分のことを笑っているのではないか

気持ち悪い人間が歩いていると不快感を持つのではないか

そもそも存在が邪魔になっているのではないだろうか

 

など思っていたんだけど

 

それがいかに自意識過剰な考え方だったかを思い知らされた

 

 

こんな考え方をしていたから、他人を観察していたのか

他人を観察していたから、こんな考え方になったのか

 

どっちが原因だったかは、今となっては調べようもないけど

いずれにせよ感覚が普通に人とかけ離れていたのは間違いない

 

 

そこに気が付いてからは、外に出るのもあんまり億劫ではなくなった

だって、誰も自分のことなんて気にしてないんだもの

 

外に出ると居心地が悪くて

必要以上にエネルギーを使っていた日々

 

そこからくるっと世界が変わった

 

服を買いに行っても、どこかの店に行っても、町ですれ違っても

明日には、いや3時間後には、もっと言うと1分後には

自分のことなんて誰も覚えていなくて、自分の世界が広がる感じがした

 

多分、普通に生活してきた人には

「何当たり前のこと言っているんだ」

って感じだと思うけど、自分には衝撃だった

 

 

それに伴って、人の顔を極力見るのを避けるようにした

まだ気を抜くと、一瞬顔を見てしまうけど…

 

 

 

人によってはガンを付けてると間違われそうな

良いことなんて何もない癖だけど

 

幸か不幸かずーーーーーっと続けてしまったせいで

人の顔の判別と記憶力がかなり向上してしまった

 

それだけはよかったかなあと思う

 

 

一回会った人の名前は忘れても、会ったことは覚えられる

会話もできたら、どういう場面で会ったかも思い出せる

 

いつ役にたつかわからない能力だけど、自分に興味を向けてくれた人のことは

これからも自分の中でずっと覚えていようと思っている

 

トーカーみたいで気持ち悪い考え方だなとは自覚はあるのだけれどもw