今日も独りで立ち話

思ったことをそのまま書き連ねるブログ。

【アニメ】クズの本懐を全部見たので感想

少しブームとかからは遅れたけど

amazonプライムでアニメ「クズの本懐」をすべて見ました

 

www.kuzunohonkai.com

 

好き嫌いははっきりとわかれそうなんですけど、自分はとても面白かったです

見て良かったと思いました

 

ネタバレを多少しながら、感想を書きたいと思います

 

 

欲にまみれた純愛物語

 

wikipediaよりあらすじ

 安楽岡花火と粟屋麦は一見理想の高校生カップル、しかし2人とも他に好きな人がいることを了解しながら一緒にいるのだった。花火は幼いころからお兄ちゃんと慕っていた鐘井鳴海を、麦は昔家庭教師をしてくれた皆川茜が好きだった。それぞれ花火たちの高校の新任教師になった鐘井と茜は次第に距離を縮めていく。それを見守る花火と麦はお互いに似たところがあるのを感じ、お互いを好きにならないこと、どちらかの恋が実ったら別れること、そしてお互いの身体的な欲求にはどんなときでも受け入れることを条件に付き合っている振りをすることになる。

 

クズの本懐 - Wikipedia

 

 

主人公に憧れの人がいて、願いは叶わないとわかっていてもその気持ちが抑えられないというのは、現実でもマンガでもよくあることだと思う

 

本作の主人公の花火と麦にも憧れの人がいた

普通と違うのは、この二人がお互いの傷を癒すために付き合い始めたこと

当然、普通の恋人とも、セフレとも少し異なる

 

やっていること自体はセフレと変わらないのだけど、心は互いに別の人のことを思っている

 

 

各キャラクターの行為自体はタイトルの通りクズそのものだと思う

欲に忠実で、我儘だ

でも、その根底にある気持ちは相手が欲しいという非常にシンプルで純粋なものだったように思う

 

「相手が欲しい」と言っても

・相手の気持ちが欲しい

・そのままの相手が欲しい

・相手が欲しがっているものが欲しい

などキャラクターによって、欲しがり方が異なっているのが面白かった

 

 

各キャラクターの関係性や思考は非常に打算的で

普通の恋愛マンガやアニメではあまり好かれないところが多かった

ただこの作品では逆にそこが魅力的で

なんとかして好かれたい、ダメなら慰めてほしい

 

 

心情や行動がリアルだとは思わないけど

弱いところ、人に見せたくないところ

そういう人間の醜い部分を惜しげもなく晒していたところに

僕の心は強く惹かれた

 

 

トーリーとしては花火と麦二人の主人公を軸にしながら

 

花火のことを好きな友人 絵鳩 早苗

麦のことを好きな幼馴染 鴎端 のり子

 

といった魅力的なサブキャラクターとの関係が入り混じりながら

自分の気持ちを思い悩み、どう進むのか考え

傷つけ傷つけられながら、自分の思いをなんとか消化していく

そんな感じの少し重苦しい感じの展開をモノローグを中心として淡々と進んでいく

 

トーリーはいろいろなキャラクターからの視点が入れ替わりながら、少しずつしか進展しないし、あっと驚くイベントも特に何もない

 

どこにでもありそう(やや盛ってるとしても)な日常が刻々と進んでいく中で

気持ちだけが目まぐるしく回っているようで、何も進歩していなくて…

 

文学的な進行の仕方をするアニメでした

 

 

結局、当初の思いが成就したのは鐘井 鳴海だけだったけども

(皆川 茜は自分の気持ちに気づけたってところで、幸せになってるけど)

皆、青春時代の甘くて苦い経験として、思い出の中にそっとしまって生きていくんだろうなと思った

 

普通の恋愛マンガとは違って、好きな人と結ばれるような純粋なハッピーエンドではなかった

まあ、でもこうなるしかないよな、って気持ちと

幸せになってほしかったな、って気持ちが入り混じっている

 

でもこのエンドでよかった、今はそう思っている

 

 

印象に残ったこと

 

一途な最可

 

一番のお気に入りは最可のエピソード

自分にとっての王子様麦は絶対に自分を選ばない

それがわかっていても、自分が好きな相手とデートができる悲しいことだけど、それを人生最高の思い出として生きていく

 

人生最高の夢の中でずっと生きていけるのなら、それでいい

相手のためなら、自分のすべてをささげてもいい

 

それほど好きだ

 

そういう悲痛な覚悟が見ているこっちの胸を突き刺した

 

体を差し出しても、麦は自分に振り向かない

他の女の子にするように求めてくることもしない

特別扱いされてるから、自分の望むものは手に入らない

 

そう気づいて、誰よりもまっすぐ相手のことを見ていた最可の恋は終わりを告げた

 

 

登場人物のなかでも最可の気持ちが一番自分に近しいこともあって

かなり感情移入しながら見ていた

 

特に叶わなくてもともに過ごした時間を一生の思い出にして生きていく姿勢

相手のためにすべてを差し出してもいい覚悟

 

昔、初めて恋したときの自分を見ているようでつらかった

 

 

 

 

皆川 茜の改心と幸せ

結局、一番の勝ち組はこの人かもしれない

 

最終的に遅れてきた初恋をして、幸せをつかんでいるからだ

 

初めは人の心を弄ぶ性悪女として登場し、この人を打倒する感じかと思ったけど 

だんだん内面が明らかになるにつれて、非常に魅力的なキャラクターだと思うようになった

 

相手から搾取したいという気持ち自体は共感できるしね

 

鐘井に惚れた理由はなんとなくわかる

結局、「自分」をまっすぐ見て受け入れてくれた初めての人だったからだろう

自分の価値の基準が他人に依存していた茜にとって、自分のことだけを愛してくれて

自分のことだけを見てくれて、ありのままの自分を受け入れてくれた初めての相手だっただろうから

 

麦は内面に踏み込んだ初めての相手だったかもしれないけど、結局は自分好みに相手を変えたいと望んでいただけだしね(最後そうじゃないと気付いたけど)

 

本作でクズ中のクズだった茜だけど、なんか幸せになってよかったと思う

絶対的に肯定してくれる無償の愛を注いでくれる人がいて、そういう人と過ごしていける幸せを手に入れたのだから

 

 

「浮気をする」と言っていたけど、たぶんもうしないんだろうなと思う

デートくらいはするかもしれないけど、ホテルに連れ込んだりはしないだろうし

心はずっと鐘井のところにあるのだろう

 

 

花火と麦

お互いの不満を埋めるための疑似恋愛関係だった二人

 

結局二人とも失恋して、契約は白紙に戻ってしまった

普通の恋愛マンガなら、最終話でくっつくんだろうと思う

 

けど、このアニメではそうはならなかった

 

 

お互いの弱いところを知っているし、気持ちが0だと言えばうそになる

付き合えるか付き合えないかで言えば前者だろうし、お互いがお互いを大事に思っていて、特別な相手だと思っているのは間違いない

 

でも、今付き合ったとしてもそれは恋愛なのか、と言えば違うだろう

おそらく、当初の傷の舐めあいの延長線上に他ならない

一緒にいると心地よい関係だけど、恋ではない

 

 

だから別れた

 

新しい本当の恋を探すには不要な関係だから

 

 

ひょっとしたら、いつか本当の恋人としてヨリを戻すことがあるかもしれない

でも、そうなるためにも一旦、今の欲を埋めあうだらだらとした関係性をリセットして、また0から始めなければならない

 

前向きだけど、悲しい別れ

ハッピーエンドだけどビターエンド

 

 

茜が麦の思いを突っぱねていたら、付き合っていたんだろうか?

おそらく、どちらにせようまくはいかなかったんじゃないかと思う

 

歪な始まりの関係は、正常な関係に戻すためには終わりを迎える必要があった

これからの二人に幸あれって感じ

 

 

立花の思い

 

初めはエロ半分話題性半分で見始めた

だけど、一気に引き込まれて2日で全部見終わってしまった

 

全体を通じて、すっきりとする展開はない

新開誠の「秒速5センチメートル」のようなウェットな重苦しい展開ばかりだ

 

でもそこがよかった

 

僕はハッピーエンド至上主義者なので

恋愛ものはヒーローとヒロインが両想いになって、幸せな未来を暗示して終了

みたいなべたべたの王道展開が好きだ

 

僕がこういう王道展開が好きなのは、自分は手に入れられない理想の物語だと心の底では理解しているからだ

僕の本性はクズの本懐のような打算的でどうしようもないクズで臆病なところがある

 

だから逆にどっぷりとはまってしまった

なぜか最終話を見て号泣してしまったし 

 

キャラクターの不器用だけど純粋で熱い思いは

恋ってこういうものだったなあ、と自分の中で忘れていた感じを思い出させてくれた

 

相手が好きだからこそ、なんとか振り向いて欲しいという思いも

自分の価値を見出すために何でも欲しいと思うのも

相手に付け込んででも心を通わせたいと思うのも

 

全部、自然な感情だし、非常に共感できてしまったのが

僕がこのアニメに高評価をつけてしまう理由だ

 

多分、嫌いな人は本当にこのアニメは受け付けないと思う

トーリーだったり、細かいあら探しとかしてしまうだろう

 

でも僕は見てよかった

心の底からそう思える

 

クズの本懐を見終わって、思ったのは恋愛をしたいなということ

 

それも打算的で性欲先行の恋愛じゃなくて

初恋のときのような相手が好きだから好きという感じの熱い思いだけがあるやつ

 

初恋は実らなくて、そのあと幸運にも何人かと付き合ったけど

身が焦げるような思いは自分の中になかった

 

久しぶりにそういう思いをしたい

25歳のおっさんが何言ってんねんって話だけど、相手のことが好きで好きでたまらなくて心が痛い、そういう苦しみを味わいたい

そしてその思いが叶えば、幸せだろうな

 

年甲斐もなく、そんなことを考えた

 

書くことは決めてたはずなのに、また書き始めたらぶれぶれになって

中身もぐっちゃぐちゃになってしまった

 

それだけ心を揺さぶる作品であったことは間違いない

 

遊園地を楽しめない男

中学生から大学生、はては社会人でもデートの選択肢の一つとして遊園地は今も昔も人気のスポットだと思う

 

マンガやアニメ、ゲームみたいな二次元でも主人公とヒロインはすぐ遊園地に行ってきゃっきゃうふふ、するし

 

自分の周りでも東京ディズニーランドに行っただのUSJに行っただの、そういう話は飽きるほどよく聞いた

 

 

結論から言えば、僕はそういう人たちに嫉妬している

 

彼女がいないからとか、デートする女の子もいないから、とかじゃなくて

遊園地を楽しむことができることに嫉妬している

 

 

なぜなら僕は遊園地を楽しいと思ったことはあまりないからだ

 

楽しめない理由は至極単純で完全に僕自身の問題だから誰を恨むこともできないし

ただそういう人らに羨望のまなざしと大きな嫉妬心を向けることしかできない

 

 

僕には「恐怖症」の類が多すぎるのだ

その中の一部が遊園地を楽しめない大きな障害になっている

 

 

 

まずは「高所恐怖症」

 

小学生の途中まではどこまで登れるか、と自分の限界を知るために木登りを積極的にやっていたし、よくわからん崖を登ったりもしていた

どちらかというと高いところは好きだった

 

 

転機は突然訪れる

いつものように友達と遊んでいて、僕は雲梯の上を歩いていた

高オニかなにかをしていて、急に移動する必要があったような気がするんだけど

とにかく詳しい原因は忘れた

起きた出来事は焦った僕が雲梯の上で足を滑らせて地面に落ちたということ

 

幸い軽い擦り傷と打ち身だけで、けが自体は全然大したこともなかったんだけど僕の心は大きく傷ついた

 

 

 

その一件以来、高いところがダメになってしまった

体が高さを感じるところに行くと、足がすくむし体が震えてしまう

 

そのあと跳び箱の授業で8段の台上前転を失敗して、頭から落ちて跳び箱もできなくなり、完全に高いところに恐怖心が植えつけられた

 

 

だから観光地の高いところとか、ベランダとかそういう命綱とかセーフティがあまりないところには近づけなくなってしまった

飛行機のように高さが逆に感じられないところは平気なんだけどね

 

高いところがダメになったせいで、乗れなくなった者がいくつかある

 

 

 

まずはコースターなどの絶叫系のアトラクション

 

元々あまり好きではなかったのだけど、完全にダメになってしまった

乗っても恐怖心を抑えるのに必死で、このまま天国に上ってしまいたいとか思ってしまうし、もしレールから外れたどうしようとか考えてしまう

 

さらに言うと、絶叫系アトラクションの乗り場は高いところにあると思うんだけど

そこまでたどり着くのが困難になってしまった

 

アトラクションに乗ることが、僕の中では絶叫マシンに等しい

 

 

もう一つは観覧車

 

あのゆっくりと空中に上昇していく感じが、受け付けない

観覧車はコースターと違って、周りは覆われているし風を直接浴びることもないし、大丈夫だろうと初めは思っていた

 

しかし、いざ乗ってみると風で微妙に揺れたり、そのときに微妙に音が鳴るのが怖くて、恐怖心を紛らわそうと外の風景を眺めても

 

「今、落ちたら、死ぬわ」

 

と、脳裏によぎって風景を楽しむどころじゃないし

 

風景の次に目に入るのは、錆が見えるボルトだから

「これはいつか折れるに違いないし、それが今かもしれない」とか、確率的にはすごく低いのはわかっていても、やーーーっぱり落ち着くことができない

 

 

 

そんなこんなで、遊園地のアトラクションのほとんどは乗れないので

修学旅行で行ったときは、他の人の荷物持ちをして空を眺めて半日をなんとかつぶした苦い思い出が残っている

 

 

 

もう一つの恐怖症は、「暗所恐怖症」

 

僕は暗いところがすごく怖い

暗い場所ならどこでも怖いというわけではなくて、自分の不測の事態が起こるかもしれない暗所が怖い

 

だから布団に入って、寝るときは真っ暗でも平気だし、押し入れにこもるのも好きだ

だけど、夜道とか暗い森とか洞窟とかは怖くて中学生女子みたいな態度を取ってしまう

 

肝試しとかは死ぬほど嫌いだ(昔、一回しかやったことないけどw)

 

怖がる女の子とくっつく以外楽しみは見いだせないし

そもそも僕が怖いので女の子にしがみつきたいのをなんとか隠すので精一杯だった

 

暗いところが怖い、というと

「お化けがでるのを怖がってるの?」

と、聞いてくる人がいるんだけど、僕はそういうのはほとんど信じていない

 

単純に暗くて自分の視界で確認ができないのが怖いのだ

強いて言えば、夜道だと誰かに襲われるんじゃないか、とびくびくしながら帰っているくらいで、幽霊というよりは自分の知らない悪意を持った誰か、という架空の存在に怯えている

 

だから、いつも部屋に帰るときは泥棒と鉢合わせするんじゃないか、と思って

警察が突入するみたいなノリで帰宅している

 

1Kの家の玄関と部屋の間の扉を開けるときは

 

勢いよく開けて

誰かにとびかかられても大丈夫なように身構え

扉の裏も警戒しながら部屋に入って

電気をつけて無事を確認してからようやく一息ついて

今日も無事帰宅できたことに安堵する日々を送っている

 

 

そんなこんなで暗所も怖いから、遊園地のパレードみたいなのも無理になってしまった

 

遊園地みたいな見知らぬ場所で暗いところは、僕にとってはアフリカのサバンナみたいなものだから、いつ物陰からライオンが飛び出てくるか、と警戒しなきゃいけなくて、デートを楽しむどころではない

 

 

 

そして最後は、ただの我儘かもしれないんだけど、「人ごみ恐怖症」

 

1つは身体的な問題で

僕は汗っかきで、おそらく体臭がきつい人間である

病院で検査をしたことがないので正確なことはわからないけど、ワキガの可能性が高い

 

だから人ごみの中で汗をかいてしまうと

 

「臭いと思われていないだろうか?」

「汗染みはできていないだろうか?」

 

と、周りや一緒に行った人の目が気になって落ち着かない

 

 

もう一つは精神的な問題で

 

人がたくさんいることに恐怖心を感じてしまう

 

そう感じる理由はわからないし、平気な時もあるから

そのときの気分的な問題だとは思うけど、とにかく怖い

 

自分は至らない人間なのに、周りの人は輝いていて

なぜ自分はこんなにダメなんだろうという、卑屈なコンプレックスのせいかもしれない

(一緒に行ってくれた人にすごく失礼な考え方ではあるのだけど)

 

 

そんなこんなで人がたくさんいるのも怖くて、あまり遊園地には向かない

 

 

 

 

この三つの恐怖症があるために、僕はデートで遊園地に行くのは気が進まないし

仮に行っても一緒に楽しめないから、なかなか苦労した

(試行回数は非常に少ないけども)

 

楽しそうなフリをしていても、相手にはばれてしまうし

嫌々来るなら、別の友達と来た方がましだった、と言わせてしまったこともある

 

そこそこ長い付き合いだった彼女は外出はそんなにしなくてもいいタイプで

そして遊園地はあまり好きではなかったおかげで、遊園地イベントを回避していけた

(最終的にはデートが少なくて「つまらない」と振られた)

 

 

僕はもう25歳とかいう、いい年した大人なので

これからのデートで遊園地に行くことがあるかと言うと、そんなにない気もする

だけど、もし行くことがあったらなんとか相手を楽しませるようにしたい、と少しだけ思っている

本当に少しだけだけど…

 

 

 

本音を言えば、遊園地は選択肢から初めから除外しておいて

水族館とか美術館とか、別のデートコースをプランニングできる"できる男"を目指した方が建設的なのかもしれない

 

実はデートプランなんてほとんど考えたことがないから、これはこれで問題が山積みなのだけれど

 

そんなこんなで彼女探しの道は険しく、遠いことを悟った土曜日の夜なのでした…

【勉強と研究の違い】これから研究生活を始める人へ

(文章がぐちゃぐちゃなので、そのうち清書します、すみません)

 

研究室に入って実験を始めてから感じたことでもあるし

先生らが実際新4年生に伝えていることでもある

 

それは

「勉強ができる」と「研究ができる」は違う

ということ

 

僕が考える意味と、先生らが考える意味は違うと思うけど

これから研究を始める人へのメッセージとしてまとめておこうと思う

 

 

 

 

優秀さの判断

 

優秀さというものを測るのは非常に難しい

というのも、優秀かどうかを測るためには判断基準が必要だからだ

 

例えば

野球の投手として優秀かどうかを測るには、球速は1つの判断基準になる

球が速いほうが必ず優秀である、とは言えないけど

他が同じような能力なら球が速い方が優秀である、と言える

 

 

では勉強と研究はどのような基準で測ることができるだろうか

 

 

勉強ができる

 

勉強を測る方法はかなり簡単で

大学受験なら模試の成績、大学での学問なら講義の成績を見ればよい

 

ただ大学によって成績のつけ方は違うので

似たような内容の講義の成績を見て東京大学の60点と僕の通う大学の100点を比較することはできない

 

とはいっても

全体的に成績が良い人は勉強ができる、とざっくり判断できるし

赤点ぎりぎりな人はあまりできない、とざっくり判断できる

 

 

研究ができる(教授の場合)

 

 

では研究ができるかどうかはどうやって判別できるだろうか

 

正直言って、これを判断するのは難しい

 

1つの客観的な指標として論文の数と質が考えられる。

論文の数が多い方が研究してると言えるっちゃ言えるし、Natureなんかに載せていればその研究はすごいんだろうなあ、という気もする

 

ただ論文数や質というのは研究内容や研究能力の一面を見ているのに過ぎないし

研究をやったことがある人はこの指標だけで判断するのが間違いだとわかると思う

 

 

余談だけど

粗悪な論文をたくさん出したから良いと言えるわけではないし

Natureに載った研究はすごくて、他の雑誌に載る研究はしょぼいという結論になることもない

雑誌のカラーや研究内容の専門性も影響するし、一概に雑誌のインパクトファクター

だけで判断することはできない

 

もちろんNatureにたくさん論文を載せている研究者はすごく優秀な研究者である、と総合的に判断していえるとは思うけど、それでも正確に判断できるわけではない

専門性を追求しすぎてその分野では超有名人だけど、一般的な知名度がある雑誌には名前が全然ない、みたいな研究者も大勢いる

 

閑話休題

 

 

研究ができる(学生の場合)

 

 

そういうわけで、研究ができることを正確に評価するというのはすごく難しい

 

教授クラスになると、論文である程度判断できる(するしかない)けど

学生の場合はどうやって評価したらいいんだろうか

 

名前が入った論文があるか?

学会に行ったか?

賞を取ったか?

 

すごく権威主義的だけど、学生のうちで研究ができるかどうかを判断するにはこのあたりなんだろうなあ、とは思う

 

ないよりはあったほうがすごいとは思うし、客観的に実績を評価されたことの証でもあるからね

 

 

以下、余談

 

同じような理屈で、ある一面で優秀であることを評価することはできるけど

やっぱりいろいろな要素が絡んでくるから、これだけで判断するのは難しいように思う

 

とにかく論文を出したり、学会に行かせる研究室もあるし

成果がちゃんと出るまで学会にはいかない研究室もある

 

賞は優れた証にはなるけど、そのときの審査員の好みとか、その日の発表の出来もあるし、多少は運が絡む

 

修士を出て普通に就職するような学生の場合には

与えられたテーマが「あたり」か「はずれ」かで、研究が軌道に乗るまでにかかる時間は違うし、研究成果だけを見て判断することも難しい

 

 

ドクターに行って、大学の先生になるような人は、「はずれ」テーマでも面白いことを引き出して、結果を出すんだけどねw

 

閑話休題その2

 

 

できるのに必要な要素

勉強ができるのに必要な能力と研究ができるのに必要な能力は近いようで微妙に異なる

 

だから

簡単に想像できる

「勉強はできて研究もできる」、いわゆるエリートだったり

「勉強もできないし研究もできない」ダメ学生

 

に加えて、勉強と研究の関係に関しては

 

「勉強はできるけど研究ができない」人

「勉強はできないけど研究はできる」人

 

という2種類のタイプが存在することも覚えておいてほしい

 

勉強と研究は必要な適性が異なるので、早急に結論付けるのは非常に危険である

 

実際、僕の学科で成績トップだった人間が

研究がうまくいかないことに精神を病んで、退学するのは目の当たりにしてしまった

 

 

彼は勉強は非常にできた

レポートの質は高く、期限も守り

テスト前には皆に勉強を教えたり、自身も細かいところまでよく覚えており、当然点数も優れていた

 

ただ研究はあまり好きではなかったようで、結果が出ないことにストレスを感じていつしか学校に来なくなった

そこを乗り越えて研究は勉強とは少し違う、ということを意識できていれば

おそらく彼は優れた成果を残せていたのだと思う

 

 

 

 

勉強ができるのに必要なのは「ゴールまでの道筋を最適化」する能力である

 

 

良い成績を収めるには

様々な専門知識を覚えて、正確かつ迅速に問題を解けるようにする必要がある

 

勉強はゴールがわかっていて、道筋もある程度示されている

あとはその道をいかに早く走れるか、を訓練することが最も重要である

 

スタートとゴールは明確に定まっていて、その間もうっすらと示されている

そこを効率よく自分なりに固めていく・・・

 

つまり、わかっていることを正確にかつ効率よく再現することが最も重要なわけだ

 

 

一方で、

研究ができるのに必要なのは「ゴールを目指して積み上げていく」能力である

 

研究には最終目標はあるものの、明確な到達地点はわからない

場合によっては最終目標そのものが変化することもある

 

だから、闇に包まれた道筋を自分で照らして切り開いていく作業になる

 

ここが勉強とは大きく違うところである

 

スタートは明確に定まっているが、ゴールはおぼろげにしか見えない

あとはゴール目指して未開の地を少しずつ開拓していく・・・

 

 

勉強と研究の違いはゴールがわかっているかどうか、という一点だが

実際かかる負担は性質が全く違うものだということを覚えておいてほしい

 

 

これから研究を始める人へ

 

まず研究は恐ろしいものではありません笑

 

ただ勉強と研究を同一視してほしくない、ということを伝えたくて

この記事を書いています

 

勉強ができるから研究もできる

勉強が苦手だから研究もできない

 

 

研究をするうえで、勉強した内容が必要になることも多いですし、知識があれば有利であることは間違いありません

しかし、だからと言ってそれだけで「できる・できない」を判別する理由にはなりません

 

勉強は苦手だったけど、研究はどんどん成果が出て面白い

 

そういう逆転現象が起こることも多々あります

 

 

僕はどちらかというと「勉強はできて研究はできない」タイプの人間なのですが

なんとか楽しく研究できるようになりたいなあ、と思ってDに進学することに決めました

 

いろいろ書きましたが、個人的に研究に必要なのは

粘り強く諦めないこと・細やかな配慮と気づき・現状把握

かなあ、と思ってます

 

結果が出ると信じて愚直に研究を進めて

わずかな変化や着想を逃さず

現状の問題点と改善方法を模索する

 

こういうことをひたむきにできる人が研究ができる人なんだろうな、と今では思ってます

 

大変なことも、楽しいこともいろいろありますが

研究生活をよりよいものにしていきましょう

 

人生の節目がやってきた

最近は大学の行き帰りにダウンを着なくても「寒い」と感じることは少なくなった

むしろ日中はアウターなんて着なくても平気なくらい暖かい

 

もう3月も終わる

それと同時に平成28年度も終わる

 

いつも通っている道だったり、大学構内ではモモの花や桜の花が咲いており

冬が終わり春の訪れを告げてくれている

 

春は始まりの季節であると同時に終わりの季節でもある

 

小学生のころは永遠に感じられた1年間も

中学、高校と年を取るにつれて、どんどん短くなり

大学に入ってからは、だらだらと時間を浪費していたため、もっと時間が過ぎるのが早くなった

 

修士課程最後の年である今年も長いようであっという間の1年だった

今年度はいろいろなことがあった

 

研究能力は高くないし、研究実績もほとんどないものの、博士後期課程に進学することに決め

将来は、自分の意志を持って、自己をきちんと賭けられるような研究がしたい、社会に何か功績を残すことができる研究者になりたいと誓って就職活動を打ち切った春

 

 

ドクターに進むことになって、先生方の要求する水準が高くなり四苦八苦しながら、今まで以上に力を入れて研究していた夏

 

 

今まで成果が出ていなかったため、参加できていなかった学会に3年間で初めて参加し、ようやく研究生活をやっていくんだ、と実感した秋

 

 

中間報告、修士論文が迫ってきて

本当に自分はドクターに進学していいんだろうか、やっていけるんだろうか?と

不安に押しつぶされそうになった冬

 

なんとか修士論文発表を終え、ほっと一息ついたと思ったら

 

落ちた学術振興会の申請書だったり、自分の研究成果を初めてのファーストオーサーで論文にすることが決まったり、卒業する後輩の研究テーマを引き継いで今後のサブテーマにすることが決まったり…

 

そんなこんなしていたら、年明けから3か月が過ぎようとしている

もう1年の4分の1が終わったと考えると、時の早さに笑いがこみあげてくる

 

それだけ時間が経ったから、僕自身だけじゃなくて、僕を取り巻く環境も大きく変化している

 

僕が研究室に配属されたときにいた偉大なドクターの先輩も就職し

一緒に研究室に配属された同期も就職したし研究室にはもう来ない

後輩も就活の書類を書いたり、企業説明会に出席したりと忙しそうだ

 

そして、新しく4年生が研究室に配属された

 

 4年生は僕のことをドクターになる先輩だと、研究を頑張っていて博識な先輩だと

そういう目で見てくる

 

僕の中では、まだまだ若輩者で知識なんててんで持ってない、微妙な学生気分でいたのだが、そういうちゃらんぽらんな態度でいるわけにもいかなくなった

(ドクターに行くんだから当たり前と言えば、当たり前なのだが)

 

 

そういう純粋無垢な4年生の視線を浴びていると、自分は最高学年として、ドクターとして、もっとしっかりしなければいけない、と身の引き締まる思いがした

 

今まで僕は困ったことがあったらドクターの先輩に頼っていた

今度は自分が頼られる立場なのだ

甘えたことは言ってられない

 

 

ふと、自分が研究室に配属されたときのドクターの先輩のことを思いだした

自分はあのときの先輩よりも優れているだろうか?

 

悲しい現実だが現時点ではかなり劣っているだろう

そして、後輩にも能力としては劣っているだろう

 

しかし、そこで立ち止まっていてはいけないだろうな、と思う

自分で決めた進路なのだから、精一杯努力していかないといけない

 

自分への甘さは克服できるかはわからないが、やるしかない

 

 

そうぼんやりと考えながら、自転車をこいで帰路についた

空は微笑み、春風がそっとほほを撫でた、そんな1日だった

無駄に高いプライドで「満足感」を食べている

僕は自分のことをメンヘラだと思ってはいるけど

精神科医ではないから、単純に自分の逃げ道としてそう思い込もうとしている節もあるし、実際本当にそうなのかどうかはわからない

 

 

だけれども、他の人よりメンタルが弱いのは間違いないと思う

感情の起伏が割と激しいし、すぐ落ち込むし

 

そんなメンタル弱者の僕にはストレスやプレッシャーがかかると

暴飲暴食をしてしまう癖がある

 

人間の三大欲求には

食欲・睡眠欲・性欲

があるけど、この中でも食欲の振れ幅が大きい

(睡眠欲と性欲も激増したりするんだけども)

 

 

もともと、小・中・高と非常にご飯をたくさん食べる子供ではあった

高校生の時には部活をしていたのもあって、一晩で5合のご飯を食べたこともある

 

5合食べても

 

「おなかがすいた」

 

とか言っていたから、かなり伸縮性に優れた胃を持っているのはわかっていた

 

 

そんな僕だから多少食欲が衰えたとはいえ

大学に入っても一晩で3合食べるのが当たり前の生活だった

 

 

もともとそういった下地を持っていて

具体的にストレスを感じて、暴飲暴食をするようになったのは研究室に入ってからだったと思う

 

研究室がブラック研究室で毎日つらいです

なんてことは全然なくて、むしろ居心地が良い研究室なんだけど

 

やらないといけないとわかっていることをこなせなかったり

自分で立てた計画を守れなかったり

自分で自分に対する甘さが嫌になったり

他人と研究能力の差を見比べて劣等感に苛まれたり

他人とうまくコミュニケーションを取れなかったり

無駄に年だけ重ねて、将来に対して不安しかなかったり

・・・・

 

と、まあ役割が与えられて、否応なしに現実を突きつけられてくると

どうしても精神的に余裕が持てなくて、しんどい思いをしている

 

 

 

それ以前も似たようなことはなかったのか、というと

期末テストとかに対してストレスを感じることは当然あったんだけど

 

そのときは何もしないことで、逆に精神に余裕を持たせていた

 

要は

本気を出せばもっと良い成績が出せるんだけど、やる気が出ないからなー

やらなくても、そこそこの成果出せちゃうからなー

みたいな、地獄のミサワみたいなメンタルで過ごしていた

 

こういうメンタルだから大学受験も失敗したんだけど、結局改善することはできなかった

 

こういうメンタルになった原因はわかっていて

自分には才能があって、努力すれば天才になれる

っていうありがちな全能感を引きずっているためだ

 

たちの悪いことに、自分にはそこそこの才能があった

 

他のの人より圧倒的に少ない努力で、そこそこの成果を出せていた

だけど、自分より優れた人の存在を理解していたけど、心の底からは認めることができていなかったんだと思う

 

とにかく自分の限界、現実を直視しないために、努力を放棄してきた

 

 

そういうわけで、現実と向き合わなければいけない研究生活は僕にとってストレスフルなものになっている

 

 

 

余談だが

このメンタルでは研究室どころか、普通に就職して社会人をやるときにも支障が出るのは明らかだから改善したいとは思っている

 

なんだけど、すぐ自分を甘やかす癖はなかなか抜けないし

自分を構成する一部になってしまっているから、かなり根気のいる作業だろうなあと思う

 

なんとかして、精神的に成長していきたいんだけど、良い方法が思いつかなくて、またサボって自己嫌悪する、という負のスパイラルから逃れることはできていない

 

閑話休題

 

 

ようやく本題に戻るが、ストレスの解消方法として僕は暴飲暴食をしてしまうわけだが、これは方法としてはあまりにもメリットがないものである

 

お金がかかるし、太る

 

本当に良いところが見つからない最低の方法なのだが、食べることにしか生きる楽しみを見いだせていない今の僕には、食べ物を味わうことでしか幸せを感じることができない

 

時には吐いたり、動けなくなるまで食べることもある

 

一番ひどいときには

お店で大量に食べて、帰る途中で具合が悪くなったら吐いて、吐き終わったらまた別の店に行って食べて、家で吐いて、カップ麺食べて…

みたいな時間と金と、なにより食べ物を粗末にしてしまうこともあった

 

 

こういうことを繰り返していてわかったのは

お腹がすいたから、ご飯をたくさん食べる

のではなくて

お腹いっぱいになるために、ご飯をたくさん食べている

ことだった

 

 

多分本当は、ご飯の味なんて何でもよくて

お腹にたくさん詰め込んで、満腹になればそれでいいんだと思う

 

三大欲求は生の本能だから

自分は生きているんだ、自分には価値があるんだ、自分は幸せだ

と、自己暗示をかけようとして、とにかく食べ物を体の中に入れてしまっている

 

食事はもっと楽しいものであるべきだと思うけど、僕の場合はある種の儀式のように義務的に行うことがある

 

 

そうして行った暴食の後に残るのは、いつも虚しさと自己嫌悪だけであった

 

きっと、僕が食べたいのは料理なんかじゃなくて、満腹感だ

 

満腹感から得られる幸福や満足感を求めてしまっている

これはきっと麻薬と変わらない

 

今すぐにでも辞めるべきなのはわかっている

でも、なかなか辞められない

気を抜くとすぐに自分を正当化して、暴食を繰り返してしまう

 

 

 

こうして能力に不相応な大きなプライドでできた空虚な自分に

満ちることはない一時しのぎの幸福を詰め込んで、毎日をごまかしながら生きている

WBCが終わってしまった

今日の朝10時からWBC準決勝があって

日本対アメリカは残念ながら1-2で負けてしまった

 

野球観戦は元々好きなのもあってWBCは割と見ている方だと思う

 

第一回、第二回大会は春休みで暇だったのもあって、ほぼ全試合応援していたし、世界一になったのは素直に嬉しかった

 

第一回大会のボブ・デービットソンのジャッジに怒ったりしたことや

第二回大会の決勝は今でも覚えている

 

特に第二回大会の決勝戦は当時片思いしていた子とメールで感想を送りあいながら観戦していた

決勝打の場面では、ここで打席が回ってくるのがイチローがスターたる理由だよな、とかのんきなことを考えながら、手に汗握って応援した

 

 決勝打のセンター前ヒットの瞬間は、すごい声で叫んでしまった

 

 

第三回大会のときは野球熱が下がっていて、準決勝しか見ていなかった

やっぱモリーナってすげえわとか、ダブルスチールはなんだったんだとかくらいの記憶しかない

 

 

そして、再び割と野球熱が戻ってきていた状態で開催された今回の第四回大会

正直言って、当初は今回の日本代表にはあまり期待していなかった

ピッチャー陣はMLB組は出場しないし、野手もなんとなく小粒感があったからだ

柳田とか怪我で出られなかったしね

 

主力の山田や坂本のバッティングフォームは、メジャーで主流のムービング系を打つのには不向きだから、結構きついんじゃないかとも思っていた

 

つまるところ、人選も不満足だし、主力も活躍できる気がしないし、小久保監督はよくわからん采配を繰り返したりしてたし、こりゃ今回もダメだとかネガティブにとらえていた

選手時代の小久保は好きだから、叩かれているのを見るのもいい気持ちはしてなかった

 

 

そんな感じで代表自体にはあまり思い入れがなかったんだけど

結局、予選から全試合見てしまった

 

あれだけネガってたのに、いざ試合が始まると応援してしまうから不思議なものだ

そして試合自体も緊迫して面白いものが多かった

 

特にバレンティン率いるオランダ戦はなんとか勝ったという感じで、ぎりぎりのところでの勝負は非常に熱かった

 

 

結局、前回大会と同じベスト4という結果になってしまったけど

松田や菊池の守備でのミスはあったものの仕方のないミスだし、彼らを叩けるようなところは一切ない良い試合だった

単純に最後の一押しや、勝負どころで力を十二分に発揮できなかったのが試合の分かれ目だったのかな

 

少ないチャンスをものにできたアメリカとできなかった日本

差はほぼなかったとはいえ、実際負けると悔しい気持ちはある

 

 

今回の大会を見ていてよかったな、と思うのはアジア以外でもWBCに対して真剣度が上がってきているのが感じられたこと

 

スター選手が本気で優勝を目指して用意をしてきたり、AAAやAAの選手でも国の威信をかけて全力で試合をしているのは、見ていて非常に面白かった

 

ハイレベルなメジャーの選手が本気で取り組んでくれて非常に良かった

今後も注目度が高まって、次回の大会も盛り上がったらいいな、と思う

 

 

とりあえず今は日本代表の選手の方々と、小久保監督に「おつかれさまでした」という労いの気持ちを届けたい

本気のメジャー選手相手に勝ち取ったベスト4は誇れるものだし、胸を張って帰国してシーズンでも野球界を盛り上げてほしいと思いました

「リア充」にも「オタク」にもなれない、どうしようもない自分

今日は難波に用事があったので、その帰りにストフェスに少し寄ってきました

 

ストフェスとは日本橋ストリートフェスタのことで

たくさんの人がアニメやゲームのコスプレを楽しみ、交流をしたりするイベントです

 

僕はたまたま思いつきで見に行っただけなので、コスプレの準備とかは当然ないし

普通の服を着て通りをぷらぷらと歩いていました

 

通りにはコスプレイヤーの方々も僕のような見物客もたくさんいて

非常に暑苦しかったので、長居はしていないんですけど

 

そのキャラクターへの愛が伝わるハイクオリティなコスプレや、かわいらしい女性コスプレイヤーの方や、やや手抜きなコスプレまで

色々な人が色々なコスプレをしていました

 

 

みなさんすごく楽しそうで生き生きとしていて、なんとなく自分はあっち側には行けないんだという壁みたいなものを感じるともに、なぜ自分の生活は色あせているんだろうか、と思わずにはいられませんでした

 

 

リア充? オタク?

 

 

そもそも「リア充」と「オタク」は相反する概念ではないので両立できるのですが

今のままでは自分にはそのどちらにもなれない、という現実を改めて突き付けられました

 

友達と遊んだりして自分の生活に満足ができる「リア充

アニメや漫画、その他の趣味に没頭できる「オタク」

 

 

友達はほとんどいないし、何か生活に張りや潤いがあるわけでもない

なにかに没頭して時間を忘れるようなこともない

 

なんというかどちらも中途半端で淡々と時間を消費する毎日を送ってしまっています

 

 

研究室内でもぼっちで、後輩とご飯を食べにいったりすることもできてないですし

友達もいないので遊びに行くこともありません

 

昔から一人で旅行に行ったりご飯を食べてきたので、今さら一人で過ごすこと自体は苦ではないのですが、すべて一人で過ごす生活は楽しいか、楽しくないかという感じではなく、無という感じが一番近いかもしれません

 

昔からアニメや漫画は好きですが、今日見たストフェスの方々のようにのめりこむこともできなくなってしまいました

 

正直言って、ストフェスで心の底からアニメやゲームを楽しんでいる人たちのことが本当にうらやましくてたまりませんでした

 

あそこまで物事を愛して没頭できたら楽しいだろうなと思います

 

一方で今の自分は

アニメを見ていて「面倒だな」って感じたり

ゲームをしていて「無駄な時間だな」と考えてしまう

 

読書も集中力が続かなくて、ハリーポッターを一晩で全部読むような小学生のころの熱中力はもう残っていません

 

消費型の趣味を、無為に消費をしているの現状です

 

じゃあ趣味のことは別にして、進学するんだから研究があるんだからいいだろと思う人もいるかもしれません

 

「研究はやっていないのか?」と聞かれれば、自分なりには頑張ってると答えるくらいには頑張っているつもりですが

 

しかし、寝食を忘れて1日25時間、毎日研究のことを考えるくらい心血を注いでいるかというと、さすがにそれはノーと答えざるを得ません

 

なんとなく予定を立てて、なんとなく実験をする良くないルーティーンに陥っている気がします

 

成功するためには、もう何よりも研究が楽しくて寝ても起きても研究のことを考えるようにしないといけないのですが、今一つギアが上がりません

 

もう言い訳できるところではないので、なんとか立て直したいところです

 

 

リア充でオタク

 

これからの1年間の目標は「リア充でオタク」になること

 

リア充成分として

まずは人生は楽しむことができるようにしたいと思っています

友達は1年間で増えることはないのですが、できるだけ積極的に人と関わっていこうと思います

(とりあえずなんで友達ができないのかも整理したいですね)

 

 

そして、一人でも楽しめるように新たな刺激を常に人生に、生活に求めていきたいと思います

 

 

次にオタク成分として

 

とにかく研究にしろマンガにしろ、なにか趣味を始めるにしろ

とにかく熱中するようにしたいと思います

 

一日中考えられるように、無意味な後悔や妄想をしている暇があったら

未来のために何ができるか考えられるように

 

とりあえず優先順位としては研究、勉強、趣味の順番かな

 

 

終わりに

 

自分はかなりふわふわ生きてきて、そして自分から挑戦することも少なかったので

その反動として、人生は色あせたものになってしまいました

 

何かに夢中になっている人、何かに向かって努力している人

 

年を無駄に重ねた自分がそんな人たちを見て、自分の人生も有意義なものにしたいと

最近、強く思うようになりました

 

 

 

とりあえずできることから、一歩ずつ着実に消化していけたらなとは思います