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今日も独りで立ち話

思ったことをそのまま書き連ねるブログ。

車の完全自動運転と哲学

研究関連 自分の考え

「車の完全自動運転と哲学」と言えば何を思い浮かべるでしょうか?

 

「やっぱ男なら機械に頼らずに、マニュアルでいくべきだよな!!!」

 

みたいなことを思い浮かべる人もいるかもしれませんが、残念ながら違います。

ここでの哲学の意味は、「個人の価値観」ではなくて、学問としての哲学だと思ってもらって大丈夫です。

 

車の運転が完全自動化することと、哲学に何の関係があるか

ボク自身もその話を聞くまで全然検討もつかなかったのですが、説明を聞いて感動したので、ブログに書いておこうと思います。

 

車の完全自動運転の実現に足りていないもの

車の完全自動運転がまだ実現していないのはなぜでしょうか。

当然、理由としてはいろいろあります。

 

やっぱ自動運転って技術的にハードル高そうですよね。人間が必死に練習して免許の試験を受けて、ようやく公道を走れるようになるくらいですし。

 

そんな人間が行っているような高度な処理を果たして機械はできるのだろうか、と疑問に思うのももっともです。

 

しかし、コンピュータには複雑すぎて強くなるのは到底無理だ、と思われていた囲碁界で、ディープラーニング技術によって生まれたアルファgoが世界一になったことを覚えている方もいると思います。

 

 

コンピュータサイエンスは日進月歩であり、シンギュラリティ(人工知能が人類の能力を追い越す日)は2045年に来ると予想されています。

 

それを考えると、進歩した人工知能によって車の自動運転が実現しても不思議ではないですよね。

 

実際、企業では自動運転技術を組み込んだ車の開発が盛んに行われています。

一番有名なのはGoogleのセルフドライビングカーでしょうか(もう辞めちゃったけど)

 

 

発表当時はとうとう未来の出来事だと思われた自動運転が現実味を帯びてきたと、リアルでもネットでも話題になっていましたね。

 

また日本でも日産や、ホンダ、スバルなどは自動運転の商品化を目指しているようです。

 

技術以外の問題点とは…

ところで、「トロッコ問題」という思考実験はご存知でしょうか?

 

 

線路を走っているトロッコが壊れてしまい、このままだと5人の従業員をひいてしまう。線路を切り替えると5人ひかれない代わりに1人がひかれてしまう。はたして、この5人の命を助けるために、1人を犠牲にしてよいか?」

 

 

ってやつです。

 

この思考実験をするにあたり、様々なパターンがあります。

1.線路を切り替えるのではなく、太った男を突き飛ばして、トロッコを停止させる

2.肥った男が自分の意志で線路に飛び降りる

3.6人がトロッコに乗っておりこのままだと全員死ぬが、太った男を突き落すと残りの5人は助かる。

・・・・などなど。

 

単純に考えれば、「1人の命で5人助かるのだから良い」という意見はある種理にかなっています。

しかし、その1人がノーベル賞を数多く受賞している超天才研究者だったら、どうでしょうか。

この研究者の命が失われることで、5人の命よりも多くの人が不幸になるとすれば、その選択は誤っていることになります。

 

上の3のパターンのように、5人の従業員が自分の命を助けるために太った男の命を投げ出すのはもっともなように思えます。

 

しかし、太った男からすれば自分以外の5人の命を投げ出すことで自分が助かりたいと思うはずです。

 

このようにこの「トロッコ問題」は状況によっても、個人の価値観によっても

これが唯一の正解だ!となるような明確な答えは今のところありません

(これからもないかもしれません)

 

前置きが長くなりましたが、この「トロッコ問題」こそが、車の完全自動化を妨げる哲学的問題なのです。

 

車の完全自動運転とトロッコ問題

トロッコ問題を完全自動運転の車の事故に関連付けて考えます。

 

完全自動運転の車がスリップして歩道に乗り上げようとしている。歩道には5人の歩行者がおり、このままだと確実に5人の命が失われる。しかし、ハンドルをきれば1人だけで済む。車はどう運転すべきか?

 

という問題は、先ほど考えたように唯一で最善の答えというものはありません。

 

答えがないからと言って自動運転を放棄するのはまずい。

しかし、誰かの命を助けるように動くということは、自動車会社が命の価値を決めている、ということにもなる。

 

これだけでも厄介なのですが

 

車を電柱にぶつければ、運転手は死ぬが5人は助かる

 

場合だと、ますます答えを出すのは困難を極めます。

 

完全自動運転の車に乗っていて事故が起きたら、運転手は命がなくなっても仕方ない

 

とするのは、さすがに無理があります。完全自動運転だと運転手に非は全くないですからね。それなのに、常に死を覚悟しろと言われたらたまったもんじゃありません。

 

と、いうように車の完全自動化に関しては、技術的な問題だけではなくて哲学的な問題も併せ持っていることがわかると思います。

 

終わりに

 

哲学みたいな勉強って、世の中の役に立っている実感は全くないんですが、実はこうしたところでひっそりと、社会の大事な部分を担っています。

 

これはどんな勉強でも同じなので、社会に出たら役に立たないよ、などと言わないであげてください。

 

ちなみにボクは運転免許を持っていないので、完全自動運転を心待ちにしていたのですが、どうやらおとなしく教習所に通わないとだめみたいですw