今日も独りで立ち話

思ったことをそのまま書き連ねるブログ。

【勉強と研究の違い】これから研究生活を始める人へ

(文章がぐちゃぐちゃなので、そのうち清書します、すみません)

 

研究室に入って実験を始めてから感じたことでもあるし

先生らが実際新4年生に伝えていることでもある

 

それは

「勉強ができる」と「研究ができる」は違う

ということ

 

僕が考える意味と、先生らが考える意味は違うと思うけど

これから研究を始める人へのメッセージとしてまとめておこうと思う

 

 

 

 

優秀さの判断

 

優秀さというものを測るのは非常に難しい

というのも、優秀かどうかを測るためには判断基準が必要だからだ

 

例えば

野球の投手として優秀かどうかを測るには、球速は1つの判断基準になる

球が速いほうが必ず優秀である、とは言えないけど

他が同じような能力なら球が速い方が優秀である、と言える

 

 

では勉強と研究はどのような基準で測ることができるだろうか

 

 

勉強ができる

 

勉強を測る方法はかなり簡単で

大学受験なら模試の成績、大学での学問なら講義の成績を見ればよい

 

ただ大学によって成績のつけ方は違うので

似たような内容の講義の成績を見て東京大学の60点と僕の通う大学の100点を比較することはできない

 

とはいっても

全体的に成績が良い人は勉強ができる、とざっくり判断できるし

赤点ぎりぎりな人はあまりできない、とざっくり判断できる

 

 

研究ができる(教授の場合)

 

 

では研究ができるかどうかはどうやって判別できるだろうか

 

正直言って、これを判断するのは難しい

 

1つの客観的な指標として論文の数と質が考えられる。

論文の数が多い方が研究してると言えるっちゃ言えるし、Natureなんかに載せていればその研究はすごいんだろうなあ、という気もする

 

ただ論文数や質というのは研究内容や研究能力の一面を見ているのに過ぎないし

研究をやったことがある人はこの指標だけで判断するのが間違いだとわかると思う

 

 

余談だけど

粗悪な論文をたくさん出したから良いと言えるわけではないし

Natureに載った研究はすごくて、他の雑誌に載る研究はしょぼいという結論になることもない

雑誌のカラーや研究内容の専門性も影響するし、一概に雑誌のインパクトファクター

だけで判断することはできない

 

もちろんNatureにたくさん論文を載せている研究者はすごく優秀な研究者である、と総合的に判断していえるとは思うけど、それでも正確に判断できるわけではない

専門性を追求しすぎてその分野では超有名人だけど、一般的な知名度がある雑誌には名前が全然ない、みたいな研究者も大勢いる

 

閑話休題

 

 

研究ができる(学生の場合)

 

 

そういうわけで、研究ができることを正確に評価するというのはすごく難しい

 

教授クラスになると、論文である程度判断できる(するしかない)けど

学生の場合はどうやって評価したらいいんだろうか

 

名前が入った論文があるか?

学会に行ったか?

賞を取ったか?

 

すごく権威主義的だけど、学生のうちで研究ができるかどうかを判断するにはこのあたりなんだろうなあ、とは思う

 

ないよりはあったほうがすごいとは思うし、客観的に実績を評価されたことの証でもあるからね

 

 

以下、余談

 

同じような理屈で、ある一面で優秀であることを評価することはできるけど

やっぱりいろいろな要素が絡んでくるから、これだけで判断するのは難しいように思う

 

とにかく論文を出したり、学会に行かせる研究室もあるし

成果がちゃんと出るまで学会にはいかない研究室もある

 

賞は優れた証にはなるけど、そのときの審査員の好みとか、その日の発表の出来もあるし、多少は運が絡む

 

修士を出て普通に就職するような学生の場合には

与えられたテーマが「あたり」か「はずれ」かで、研究が軌道に乗るまでにかかる時間は違うし、研究成果だけを見て判断することも難しい

 

 

ドクターに行って、大学の先生になるような人は、「はずれ」テーマでも面白いことを引き出して、結果を出すんだけどねw

 

閑話休題その2

 

 

できるのに必要な要素

勉強ができるのに必要な能力と研究ができるのに必要な能力は近いようで微妙に異なる

 

だから

簡単に想像できる

「勉強はできて研究もできる」、いわゆるエリートだったり

「勉強もできないし研究もできない」ダメ学生

 

に加えて、勉強と研究の関係に関しては

 

「勉強はできるけど研究ができない」人

「勉強はできないけど研究はできる」人

 

という2種類のタイプが存在することも覚えておいてほしい

 

勉強と研究は必要な適性が異なるので、早急に結論付けるのは非常に危険である

 

実際、僕の学科で成績トップだった人間が

研究がうまくいかないことに精神を病んで、退学するのは目の当たりにしてしまった

 

 

彼は勉強は非常にできた

レポートの質は高く、期限も守り

テスト前には皆に勉強を教えたり、自身も細かいところまでよく覚えており、当然点数も優れていた

 

ただ研究はあまり好きではなかったようで、結果が出ないことにストレスを感じていつしか学校に来なくなった

そこを乗り越えて研究は勉強とは少し違う、ということを意識できていれば

おそらく彼は優れた成果を残せていたのだと思う

 

 

 

 

勉強ができるのに必要なのは「ゴールまでの道筋を最適化」する能力である

 

 

良い成績を収めるには

様々な専門知識を覚えて、正確かつ迅速に問題を解けるようにする必要がある

 

勉強はゴールがわかっていて、道筋もある程度示されている

あとはその道をいかに早く走れるか、を訓練することが最も重要である

 

スタートとゴールは明確に定まっていて、その間もうっすらと示されている

そこを効率よく自分なりに固めていく・・・

 

つまり、わかっていることを正確にかつ効率よく再現することが最も重要なわけだ

 

 

一方で、

研究ができるのに必要なのは「ゴールを目指して積み上げていく」能力である

 

研究には最終目標はあるものの、明確な到達地点はわからない

場合によっては最終目標そのものが変化することもある

 

だから、闇に包まれた道筋を自分で照らして切り開いていく作業になる

 

ここが勉強とは大きく違うところである

 

スタートは明確に定まっているが、ゴールはおぼろげにしか見えない

あとはゴール目指して未開の地を少しずつ開拓していく・・・

 

 

勉強と研究の違いはゴールがわかっているかどうか、という一点だが

実際かかる負担は性質が全く違うものだということを覚えておいてほしい

 

 

これから研究を始める人へ

 

まず研究は恐ろしいものではありません笑

 

ただ勉強と研究を同一視してほしくない、ということを伝えたくて

この記事を書いています

 

勉強ができるから研究もできる

勉強が苦手だから研究もできない

 

 

研究をするうえで、勉強した内容が必要になることも多いですし、知識があれば有利であることは間違いありません

しかし、だからと言ってそれだけで「できる・できない」を判別する理由にはなりません

 

勉強は苦手だったけど、研究はどんどん成果が出て面白い

 

そういう逆転現象が起こることも多々あります

 

 

僕はどちらかというと「勉強はできて研究はできない」タイプの人間なのですが

なんとか楽しく研究できるようになりたいなあ、と思ってDに進学することに決めました

 

いろいろ書きましたが、個人的に研究に必要なのは

粘り強く諦めないこと・細やかな配慮と気づき・現状把握

かなあ、と思ってます

 

結果が出ると信じて愚直に研究を進めて

わずかな変化や着想を逃さず

現状の問題点と改善方法を模索する

 

こういうことをひたむきにできる人が研究ができる人なんだろうな、と今では思ってます

 

大変なことも、楽しいこともいろいろありますが

研究生活をよりよいものにしていきましょう